2010年からカタルーニャ独立運動が盛んになりました。バルセロナでは大規模デモが何回か起きましたが、カタルーニャの独立を応援するカタルーニャ人は人口の何パーセントですか?2017年10月27日にカタルーニャ独立が宣言されましたが、その後、どうなりましたか。2006年から現在までのカタルーニャ独立の流れや原因を徹底解説します。カタルーニャって?スペインじゃないよ!
現在もカタルーニャ独立騒動が続いています。
目次:
7月:カタルーニャ州議会がカタルーニャ自治憲章を改正。
6月:スペイン憲法裁判所は、3年をかけてカタルーニャ新自治憲章のいくつかの段落を破棄。
7月10日:カタルーニャ人が怒り、バルセロナのグラシア大通りとグラン・ビア通りで大きなデモがありました。150万人(!)が参加したこのデモの目的は「スペインから独立しよう!」でした。この国の一般の国民から政治家、歌手、アーティスト、様々な協会の会長まで、テーマは一つでした: Prou ! (もう十分!)、Independencia!(独立!)。デモのスローガンは 我々は一つのネーション 、決断するのは我々だ !
デモは大きなスケールになり、マドリッド中央政府にとっては脅威だった。
9月22日:この国(もちろんカタルーニャのこと!)では、教育(幼稚園から大学まで)をカタルーニャ語で受けます。カタルーニャ語の新聞、カタルーニャ語のラジオ、テレビ局、カタルーニャ語の芝居はた〜くさんあります。カタルーニャ語で出版されるパンフレットや本も山ほどあります。しかし、カタルーニャ語で上映される映画はたったの3%。 3%だけ!!??です
カタルーニャ政府は、それを少なすぎると考えて、この割合が増えるように新しい法律を作りました。3年かけて、カタルーニャの映画館で上映される映画の半分が、カタルーニャ語の字幕またはカタルーニャ語吹き替えになるようにしていきます。
そして、今年、カタルーニャで大騒ぎになった話題は、闘牛です。闘牛って、残酷な競技だと思いませんか?現在、カタルーニャで闘牛が見られる場所は、1ヶ所(バルセロナのモヌメンタル闘牛場)だけです。ここでは闘牛シーズン(4月頃から10月まで)の、日曜日の午後、月に2、3回闘牛が行なわれます。闘牛に反対するカタルーニャの人々は闘牛場の前でよくデモをします(一般に闘牛を見に行く人は、フランコ独裁者の時代にバルセロナに移住したアンダルシア人などです)。闘牛はカタルーニャの人々にとってはフラメンコと同じように自分たちの文化ではないので、モヌメンタル闘牛場はいつもかなり空いています。。。
カタルーニャ政府は、新しい法律を作り、2012年以降、カタルーニャ地方では、闘牛を禁止にしました。いいことだと思います。
はっきり言って、バルセロナとマドリッドは、仲がよくない(本当に悪い。。。)ので、その後、マドリッド地方の政府は、わざわざ闘牛をスペインの国家遺産にしました。なぜマドリッド人とスペイン人は、カタルーニャ人が嫌い?(カタルーニャのFCバルセロナのお陰で今年のワールド・カップにスペインが優勝したのに。。。11人の選手の内の7人はバルサの選手達だった、違いますか?)
最近、テレビ・ニュースで「カタルーニャが国だったら、国民の所得税は18%安くなる」、「カタルーニャが国だったら、ヨーロッパ連合のもっともリッチな国の一つになる」、「カタルーニャはスペインの最後の植民地だ!」などとよく言っています!これから、どうなりますか?楽しみにしています。
Visca Catalunya ! Adeu Espanya! (カタルーニャ万歳!アデウ・エスパーニャ!)
11月28日にカタルーニャ州の州議会の選挙がある予定です。主な政党は7つあり、その内の3政党は独立派の政党で、選挙で政権をとったら、「スペインから独立します」と言っています(これらの政党は、数年前にコソボが、セルビアから勝手に独立したように、スペインから独立したい考えています)。
9月11日:バルセロナ中心地でデモ。5万人ぐらいが参加。
景気が悪化。スペインとカタルーニャの間で、文化、教育、言語、政治、税収等のトラブルが多発。
9月11日:バルセロナでスペインからの「独立」や自治権拡大を求める大規模なデモ。150万〜200万人が参加。
9月20日:カタルーニャ州知事は、スペイン中央政府に州が払い込む税に対しての新法案を提出。しかし、スペイン首相は新法案を切り捨てた。
11月25日:カタルーニャで自治州議会選挙。結果は、「4年以内に独立に対しての国民投票を実施」を支持する国会議員:87人。反対する議員:48人。
6月20日:カンプノウ・サッカー・スタジアムで、「自由のためのコンサート」が開催。スタジアムの集客人口は7万人。アーティスト400人。6時間にわたる盛大なコンサートは大成功。
9月11日(カタルーニャのナショナル・デー):17時14分、カタルーニャ北部(フランスとの国境)からカタルーニャ南部(バレンシア州)まで、カタルーニャの独立を応援する人たちが一斉に手をつなぐ。なんとその長さ400キロ!歴史上最も長い「手と手のつながり」は、大勢のカタルーニャ人(160万人、人口の22%)によって成しとげられ、このイベントも大成功。
12月12日:カタルーニャ政府とマス知事は 2014年11月9日において国民投票を実施する。そのための準備を開始し と声明した。国民投票は、カタルーニャ独立への一歩前進を意図し、「あなたはカタルーニャが国になって欲しいですか?」、「はいと答えた場合、その国とはスペインからの独立国という意味ですか?」という内容。
9月11日:バルセロナでは、黄色や赤のTシャツを着た180万ほどの人が集まり、長さ11キロもある「V」の形をした幅広いカタルーニャの旗をグラン・ビア大通りとディアゴナル大通りで作った。「V」は、Votar(選挙する)と Victory(勝利)を意味している。
11月9日:カタルーニャでは、住民アンケートが実施され、234万人位が住民アンケートに答え、独立を応援する人:80%。
1月14日:マス知事は 2015年9月27日においてカタルーニャ州議会選挙を前倒しで実施する と発表した。
9月11日:カタルーニャ独立の為、バルセロナのメリディアナ大通りで、大規模デモ。
9月27日:自治州議会の選挙が行われた。結果:独立派の議員:72人、カタルーニャの独立に反対する議員:63人。歴史上では、カタルーニャ州議会には、カタルーニャの独立を応援する議員が、初めて50%を超える。
9月11日:カタルーニャ独立の為、バルセロナ市、タラゴナ市、レイダ市、サルト市とベルガ市で、大規模デモ。
9月29日:「2017年9月にカタルーニャ独立住民投票があるようにカタルーニャ政府が準備する」とカルラス・プチダモン・カタルーニャ州知事がアナウンスした。
6月9日:カルラス・プチダモン・カタルーニャ州知事が 2017年10月1日において国民投票を新しく実施する と発表した。
9月11日:今年も、カタルーニャ独立の為、グラシア大通りとアラゴン大通りで、大規模デモ。
10月1日:国民投票が行われた。228万人位が住民投票に答え、独立を応援する人:90%。スペイン警察が多くの投票箱を盗んで(!)70万人が投票できなかった!
10月3日:カタルーニャでは、ゼネスト。バルセロナでは、デモに70万人が参加。
10月3日:スペイン国王はスピーチし、投票日にケガした891人について何も言わなかった。カタルーニャ政府を強く批判。
10月16日:独立派指導者2人(ジョルディ・クイシャルト氏とジョルディ・サンチェス氏)が拘束。
10月17日:バルセロナのディアゴナル大通りでは、独立派指導者2人の拘束に抗議する為、20万人が集まった。
10月18日:バルセロナでは、スペイン中央政府を応援する人(2000人)が集まった。
10月21日:スペイン政府は、カタルーニャ州の自治権を停止すると述べた。
10月21日:バルセロナ(グラシア大通り)では、民主主義の為、45万人が集まった。
10月27日:カタルーニャ州議会が、カタルーニャ独立を宣言した。8秒後に独立を凍結した。
10月28日:マドリード中央政府は、憲法155条の適用に動いて、カタルーニャ自治権を停止し、「2017年12月21日において州選挙を実施する」と発表した。
10月31日:カタルーニャ州知事「プッチダモン氏」は、ベルギー(EUの首都)に行き、記者会見した。
11月3日:マドリードにある裁判所は、カタルーニャ政府の閣僚8名が、すぐに刑務所に入ることを命令した。
11月3日:マドリード裁判所は、ベルギーに滞在しているプチデモン州知事とカタルーニャ政府の閣僚5名に対し、EU共通の「欧州逮捕状」を発行した。
11月8日:カタルーニャでは、ストライキ。多くの道路や線路が封鎖された。
11月11日:カタルーニャ出身の政治犯10名を忘れないようにバルセロナ、マリーナ大通り(長さ3・3キロ!)で、大規模デモ(75万)が行われた。
12月4日:1ヶ月以上、マドリード刑務所にいたカタルーニャ出身の政治家6名がやっと自由になった。しかし、他の政治犯4名が刑務所から出る許可がない。
12月7日:多くのカタルーニャ人が、ヨーロッパ連合の首都「ブリュッセル市」で、カタルーニャ独立の為、デモをした。4万5000人が集まったので、ベルギー政府も驚いた。
12月21日:マドリード中央政府の命令(憲法155条に基づいて!)で、カタルーニャ州議会選が行われた。投票率は82%。独立支持派の3党は、定数135の州議会で合計70議席を獲得。独立派がもう一度勝利!ちなみに、スペイン中央政府が送る投票用紙が届かなかった(!)ので、外国に住んでいるカタルーニャ人1万人が選挙できなかった。。。
1月17日:カタルーニャ州議会長が選ばれた:独立派の「ルジェー・テュレント氏」。
3月22日(州議会選の3ヶ月1日後):カタルーニャ州議会で、議員135人が新しい州知事を選ぶ予定だったが、ベルギーに亡命している議員がスペイン全土に来られないので、独立派の政党が絶対多数を得ていない。
3月23日:カタルーニャ独立派の前議会長「カルマ・フルカデイ氏」及びカタルーニャ議員4名が、マドリード裁判官によって拘束された。現在、カタルーニャ出身の政治犯9人が、スペイン刑務所に入っている。他は、議員6人が他国(ベルギー、スコットランドとスイス)に亡命。政治家、市長さん、アーティスト、歌手、記者、自動車整備士など900人位が公判中。
3月24日:マドリード裁判官は、フィンランド、ベルギー、スコットランドとスイスに亡命している議員などに対し、も一度EU共通の「欧州逮捕状」を発行した。
3月25日:ヘルシンキから車でドイツに入ったプッチダモン氏が高速された。バルセロナ、ジローナ等では、大規模デモ。
5月14日:独立派の「キム・トッラ氏」が、カタルーニャ第131代の州知事になった。
6月1日:賄賂の為、ラホイ政権(スペイン中央政府)が崩壊。
7月28日:「プッチダモン氏」は、ドイツと離れ、ブリュッセルに戻った。
9月5日:カタルーニャ前州知事「プッチダモン氏」とカタルーニャ州知事「キム・トッラ氏」がブリュッセルでまたミーティングを行った。
9月11日:「ラ・ディアダ」:カタルーニャのナショナル・デー。今年も大規模デモが、大成功した:100万人参加。人口の15%(!)がデモし、火が付けられたごみ箱、破壊されたバス停が一つもない。
10月11日:カタルーニャ州議会は、スペイン君主制の廃止を求めた。
10月16日:独立派指導者2人(ジョルディ・クイシャルト氏とジョルディ・サンチェス氏)が拘束されてから1周年。裁判はまだ!
10月26日:バルセロナ市議会は、スペイン君主制廃止を求めた。
2月12日:マドリードの最高裁判所にて独立派指導者2人および政治家7人の裁判が始まった。全世界からの記者がスペインに来ている。
2月18日:多くの記者の前でカタルーニャ前州知事「プッチダモン氏」とカタルーニャ州知事「キム・トッラ氏」がブリュッセルで講演した:”マドリードの最高裁判所で行われている裁判が公平ではない」と述べた。
2月20日:スペイン最高裁判所で開催されている裁判が公平ではないので、カタルーニャ全土でゼネストを行った。
3月16日:マドリード中心地では、初めてカタルーニャ独立を応援するカタルーニャ人とスペイン人がたくさん集まった。主催者により12万人、スペイン警察庁により1万8千人が集まった(カタルーニャから観光バス500台が満席になり、マドリードに行った。高速列車、飛行機、車で行った人も多かった。アラゴン、バレンシア、バスク地方等から行った人も多かった。観光バス1台に45人が乗っていたとしたら、観光バス500台だけで2万人を超える。今回もマドリード警察庁からのフェイクニュース!)
6月12日:独立派指導者2人および政治家7人の裁判が終った。秋に裁判所の判決がある予定。
9月:カタルーニャについてスペインの主な政党(PSOE, PP, Ciutadans, Unidos Podemos)の意見が対立するので、新しいスペイン政府を構成出来ずに、11月10日にスペイン全国で、また選挙(4年で4回目!)が行われる。
10月14日:独立派指導者2人および政治家7人の裁判が4ヶ月前に終った。今日、最高裁判所の判決がありました:1名当たり:9年~13年刑務所から出られない。バルセロナ市民が仕事場を出て、学生も大学を出て、バルセロナの全ての大通り(パセッジ・ダ・グラシア大通り、ディアゴナル大通り、ライエタナ大通りなど)、カタルーニャの国道が封鎖されている。ジローナ市、レイダ市、タラゴナ市などで大勢のカタルーニャ人が気さくな雰囲気で集まっている。
10月14日:大勢のカタルーニャ人が、国際空港に集まったので、バルセロナ空港へのアクセスが閉鎖された。
10月18日:警察庁により、バルセロナ新市街には、52万人のカタルーニャ人が集まった。
11月18日:カタルーニャ第1裁判所にて、不服従の罪に問われているカタルーニャ州知事「トッラ氏」の裁判が行われた(トッラ氏は、今年の4月の選挙の時にカタルーニャ州政府庁のバルコニーに黄色いリボンを置いた)。ところで、最後の州知事11人の内9人が裁判所に行ったり、外国に亡命したり、死刑判決を受けたりした。
12月19日:ルクセンブルクにあるヨーロッパ連合の最高裁判所は、選挙で選ばれたウリオル・ジュンケラス氏(カタルーニャ州の前副知事)が欧州議会議員になったので、すぐに釈放されるはずだと述べた。
12月19日:同じ日にカタルーニャ最高裁判所は、キム・トッラ・カタルーニャ州知事が、(カタルーニャ州政府庁のバルコニーに黄色いリボンを置いた為)失格されたと述べた。
1月13日:北東フランス、ストラスブール市:プチデモン氏と元自治州閣僚のトニ・コミン氏が、ようやく欧州議員になり、欧州連合(EU)の欧州議会に初めて出席した。
2月26日:マドリードで、スペイン政府とカタルーニャ政府が、独立問題の解決に向けた対話を開始した。
2月29日:(ベルギーに住んでいる)プッチダモン氏が(スペイン国境を越えることは出来ないので)北カタルーニャ(フランス南部)のペルピニャン市でミーティングした。長距離バス600台がレンタルされ、カタルーニャ全土から独立派のカタルーニャ人15万人以上がアウトドア・ミーティングに参加した。
3月~8月:新型コロナウイルスのため、カタルーニャ独立運動は話題にならない。
8月2日頃:スペイン前国王フアン・カルロス1世が(裏金77億円を持っていることが明らかになったので)アラブ首長国連邦に逃亡した。多くの国民は「スペインが共和国になってほしい」と言う。
9月28日:マドリードにあるスペイン最高裁によって、カタルーニャ州知事「トッラ氏」が失職した。なぜ失職したか?政府庁に横断幕を置いたから・・・
2月14日:数ヶ月前にスペイン最高裁はカタルーニャ州知事を失格したので、今日、カタルーニャでは選挙が行われた。新型コロナのため、投票率は53.5%のみ。独立派の新しい議員:74名;独立に反対する新しい議員:53名;中立の新しい議員:8名(全員:135名)。フランコ独裁者が無くなってからカタルーニャ独立を応援する議員は74名になり、記録を破った。
5月24日:選挙の3ヶ月後にカタルーニャ政府が形成された。現在、カタルーニャ州知事(ペラ・アラゴネス氏、38歳)、カタルーニャ政府、カタルーニャ議会長(ラウラ・バッラス氏、50歳)、バルセロナ商工会議所の議長、バルサ・サッカー・クラブの会長は、独立派。
6月22日:政治犯がいるので、欧州連合理事会はスペイン政府とトルコ政府を警告した。
6月23日:スペイン中央政府により、3年6ヵ月以上刑務所にいた9人(政治家7人と独立派指導者2人)は、恩赦を受け、自由になった。
9月11日:カタルーニャ・ナショナル・デーのため、40万人がライエタナ通りやフランサ駅の前で集まった。
9月24日:サルデーニャ島(イタリア)を訪れたカタルーニャ自治州元首相のプチデモン氏は逮捕されたが、すぐに釈放された。
1月12日:カタルーニャ州知事ペラ・アラゴネス氏はマドリードにて「独立のための住民投票が許して欲しい」と述べた。
4月18日:ザ・ニューヨーカー雑誌により「カタラン・ゲート」:2017年から2020年までスペイン中央政府は、司法認可なしでペガススというソフトウエアにてカタルーニャの州知事、政治家、弁護士、独立派指導者など(65名以上)のスマートフォン(メッセージ、電話、カメラ、マイク、GPS等)を完全にスパイした。
5月30日:スペイン税務署により:”2021年のスペイン予算で合意された金額は、カタルーニャに投資しなければならなかった資金の36%しか実行しなかった。マドリードに投資しなければならなかった資金の184%実行した(184%!)”。
6月13日:カタルーニャ選挙の際、独立派の政党が負けるように2015年にスペイン中央政府はフェイクニュースを流した:カタルーニャの政治家はアンドラ公国の銀行で多額のお金を隠したこと。結果は、独立派の政党は選挙を負けた。また、アンドラ公国のBPAバンクが潰れた。多額のお金が隠れていたことはフェイクニュースだったので、これからアンドラ公国でスペイン元首相ラホイ氏、元財務大臣と元内務大臣は裁判に行く。
7月13日:スペイン元警察幹部ビラレホ氏は「独立派の候補者トリアス氏は、2015年のバルセロナ市議会選挙を負けるため、ヒドイ嘘をついた」と述べた(想像された話:トリアス氏はスイスの銀行に多額のお金を隠した)。
9月11日(カタルーニャ・ナショナル・デー):パンデミックが終わったので、3年ぶりに大勢のカタルーニャ人はバルセロナ等で独立応援パレードをした。
9月14日:第72回ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を受賞した「アルカラス」という映画(カタルーニャ出身のカルラ・シモン監督)は、アメリカのアカデミー賞(オスカー)にノミネートされたので、ウィキペディアでは「アルカラス」の検索が急に多くなった。突然ウィキペディアの記事がリライトされた:2017年の住民投票の際にスペイン軍隊に激しく攻撃されたカタルーニャ人についての段落は削除された。ウィキペディアの記事を書き直したIPは、スペイン防衛省のIPだった・・・
12月6日:スペイン中央政府は扇動罪を改革しようとしているが、独立を応援するカタルーニャ人にとっては法律がもっと厳しくなるではないかと心配している人(5000人ほど)はカタルーニャ政府庁の前に集まった。
3月28日:5年5ヶ月前からスコットランドとベルギーに亡命しているクララ・ポンサティ氏(前州教育相)は数時間にカタルーニャに戻った。
5月28日:バルセロナを含めて、スペイン全国で市長選挙が行われた。独立派のシャビエ・トリアス氏は選挙を勝ったが、独立に反対する政党はたくらんで、新しい市長は革新政党の男性になった。
7月中旬:新しいスペイン中央政府を決めるため、もうすぐに選挙が行われる。選挙を勝つため、スペイン政党はいつものようにカタルーニャ政府、カタルーニャ語やカタルーニャ文化を強く非難している。
7月23日:選挙が行われた。選挙を勝った政党はない。
9月5日:スペイン選挙の結果:社会党:171議席;保守政党&超右派:170議席。どの政党にしても過半数(176議席)を獲得していない。それで、選挙を勝つため、カタルーニャ自治州元首相のプチデモン氏の政党(7人)が必要。欧州議会(ブリュッセル市)でプチデモン氏は会議した。社会党を応援する条件を言った:恩赦と国民投票。
9月11日:カタルーニャのナショナル・デー(La Diada)。今年もバルセロナ等で大規模デモが行われた(ANC により80万人が参加した)。
9月18日:スペイン国家予算、2021年の額は発表された:マドリード中央政府はカタルーニャに送金しなかった最終額は、21.982.000.000 ユーロに達する。
9月19日:フランコ独裁者は1975年に亡くなった。その時から今日までスペイン国会では、カタルーニャ語を話すことは禁止だった。今日からカタルーニャ語を使う政治家はもう追放されない。
11月16日:ペドロ・サンチェス氏(社会党)は(カタルーニャ独立を応援する政党に譲歩したので)新しい首相になった。マドリード等でカタルーニャ反対デモが行われた。
3月4日:スペイン政府からの公式発表:(国の予算があったのに)2022年にカタルーニャで造られたインフラは予算の42.9%のみだった(半分以下)。スペインの他の地方と比べると、このレートは一番低いレート。
4月11日:スイスに亡命しているカタルーニャ人は2人だったが、今日から4人になった。カタルーニャ人への迫害は続いている。
5月30日:スペイン下院は、独立活動家らの恩赦を認める法案を賛成多数で可決し、同法は成立した。
8月8日:ベルギーに亡命しているプチデモン氏は7年ぶりにバルセロナに戻った。数時間カタルーニャにいて、凱旋門の前で講演した。警察はプチデモン氏を逮捕できなかった。
カタルーニャは、スペイン面積の6%、スペイン国内総生産の19%。
毎日、カタルーニャからスペイン中央政府に4500万ユーロ納税(毎日)!
この金額は、カタルーニャに還元されないので、カタラン人1人当たり、年に3000ユーロの損失。
カタルーニャの税金の高さはスウェーデン、アルバ島に次いで世界で三番目です(レート56%まで)。
2011年:スペイン全土の不景気のため、カタルーニャ地方では、実施されたインフラ(港や国際空港へのアクセス、高速道路、郊外電車の路線など)は、予定の35%。 (一方マドリッド地方はインフラの 110%、南スペイン(アンダルシア州)では、120%が実地!!)
スペイン: 乗客数が少ないAVE(高速鉄道)。。。飛行機が離着しない空港。。。車が走らない高速道路(カタラン人の税金で建設)。。。
カタルーニャ: ヨーロッパ連合が支援している南スペイン、バレンシア、タラゴナ、バルセロナ、フランスの国境を繋ぐ「地中海の弧」を造るのに、スペイン中央政府からの出資はなし!
スペインのある地方では、所得税が下がったのに対して、2012年にも、カタルーニャの所得税が値上りした。
2012年11月25日に行われた選挙の1週間後、スペイン文部大臣は、スペイン教育制度が根本から変わると述べました。現在カタルーニャ州は、カタルーニャ自治憲章によって教育方針を決めていますが、残念なことにこの新しい法律は原則としてカタルーニャの教育制度にも影響します。カタルーニャ語は教育言語から第2外国語に…。フランコ独裁者の死(1975年)以来、カタロニア語は、このような攻撃を受けなかったのですが…
スペイン、カスチヤ・ラ・マンチャ州の学校では、子供の教科書などは、無料。カタルーニャ地方では、全部:有料!
どうしてスペイン中央政府マドリッドは、バレンシア州に「カタルーニャ・テレビTV3」の放送禁止を命令したのでしょう?
どうしてマドリッド弁護士会に立候補している女性が、わざわざ「私にはカタラン人の祖先がいない」と発言したのでしょう?スペイン人は、カタラン人がそんなにも嫌いなのでしょうか?
スペインのサッカー・スタジアムでは、普通にアンダルシアの旗がひらめいています。しかし、なぜサッカー試合中にカタルーニャの旗がひらめくと文句を言われるのでしょう?
このへんでこのリストを止めておきましょう…(苦笑)
数年前から、上記のニュースで、大勢のカタルーニャ人が怒っています。
カタルーニャは、1714年9月11日にスペイン継承戦争に負けて以来、スペイン中央政府に厳しく弾圧されています。
スペインとカタルーニャは、文化が違います、考え方が違います、町並みが違います・・・そう国が違います!
カタルーニャ国は、自由になりたい!その為、数年前からカタルーニャ独立運動が始まっています。
すぐにでもカタルーニャが、ヨーロッパ連合の新しい国になることが大勢のカタラン人の希望です。
ご利用は、読者御自身の判断でお願いいたします。
「カタルーニャ観光」は、一切の責任を負いません。