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ペドラルベス修道院 が、バルセロナ市内、少し西南郊外の方にあります。ペドラルベス修道院の中庭回廊は、とてもきれいです。
1327年にアラゴン国王ジャウマ2世の王妃エリセンダは、この修道院を建設したいと願い、ジャウマ2世王は、王妃の計画に応援し援助してこの地に建設されました。その時から今もなお現在まで修道女達は、ここに住んでいます。
「ペドラルベス」は、ラテン語で「白い石」を意味します。1326年に教会の最初の石が据えられ修道院の建設が始まり、一年後には、最初の修道女達がここに越してきました。彼女達は、修道女としてとても厳しい修行の日々を送りました。毎日の生活は、お祈りとレースを作ることでした。
この建物は、カタルーニャ・ゴシック様式で、中庭回廊は、3階からなる建物で囲まれています。本当にとても美しいところです。エリセンダ王妃は、王様が亡くなると、この修道院に自らも入り亡くなるまでここに住んでいました。
教会の中にエリセンダ王妃のお墓があります(修道院をめざして行くと、教会は、プラタナスのある広場の横にあります)。教会側から見ると、王妃のお墓(棺)の彫刻は、王妃の服を着ていますが、同じお墓を中庭回廊側から見ると、王妃は、修道女の服を着ています。
中庭回廊の1階と2階には、たくさんの礼拝室があります(2階に行く階段は、修道院の入口の反対側です)。庭には、きれいな小さな池、高い木々(びわの木もあります)や井戸もあります。静かで、とても落ち着いたところです。
建物のいたるところにペドラルベスの紋章が彫刻されてます。エリセンダ王妃の紋章は、八つのマル、そしてジャウマ2世の紋章は、カタルーニャの旗(つまり4本の線)でした。王様と王妃によって、この修道院が建られたので、王様の紋章と王妃の紋章を半分ずつで、ペドラルベスの紋章が定められました。教会の門の上、中庭回廊の柱の上、壁などいたるところに見かけられますので、訪れられる時は、注意して見てください。
2階に絵画と彫刻が展示されています。かってこの場所は、修道女達の広い寮でした。時代により建て直されてきましたが、現在は、またかっての建築に戻されています。修道女達が、食事をした食堂も見学出来ます。食堂に入るドアの上に小さなが鐘があって、食事の合図に鳴らされました。食事の間中、一人の修道女が聖書を読み続け、それを聞きながら修道女達は、黙って質素な食事をいただきました。
地下室も見学出来ます。一番奥の部屋には、イエスの誕生からの人生を表した模型が数多くあり、どれも遠近法と光がうまく使ってあって、見ている私達が、まるで同じ時代にその場所にいたのではないかと思わせるほどよく出来ています。
中庭回廊に戻って、次の右のドアをくぐると、そこは昔の病室です。4つ部屋があり、病気になった修道女は、この部屋で休んでいました。病気になった修道女には、特別の食事(お肉も)が与えられました。どこからかミサの合唱が聞こえてきます。
最後の大きな部屋は、「サラ・キャピテュラール」、つまり修道女達が集まって修道院の日常問題について話しあった部屋です。この部屋の奥には、1420年に作られたきれいなステンド-グラスが壁を飾っています。
この修道院を訪ねる時は、時間に余裕を持って出かけてください。入ると、回廊が素敵で、外に出たくなくなるに違いないからです!
教会の見学時間:11時〜13時、17時30分〜20時、
修道院の見学時間: 夏:10時〜17時(火〜日)、 冬:10時〜14時(火〜日)。
建設に6年をかけ、高さ 142 メートルのトッラ・グロリアス ( Torre Glòries、旧 Torre Agbar )は、バルセロナで3番目に高いビルです。バルセロナの大通り(グラン・ビア大通り、ディアゴナル大通りとメリディアナ大通り)の交差点にあり、2005年の秋にオープンしました。いまやバルセロナの新しいランドマークになっています!
トッラ・グロリアスの前にあるグロリアス広場は、現在、改装中です。広い公園になる予定です。地下駐車場も予定され、周りの大通りは、地下に移すらしいです。
数年前まで、グロリアス広場が、バルセロナの端っこにあたり、観光客だけではなく、地元の人にとってもそれほど重要な地区ではなかったが、これからは、バルセロナの新しいテクノロジー・センター(@22地区、Cibernarium 等)、新しいビジネス街、国際的な商業地区にしようとバルセロナ市は、努力しています。
その上、2020年に完成するサグレラ駅(地下鉄、郊外電車、カタルーニャの高速列車 Avant、フランスの TGV の駅)もこの近くにあります。
2013年までバルセロナ水道局( Agbar 社 )の事務所(トッラ・アグバル)でしたが、2017年~2018年にオーナーとテナントが変わってきました。現在、プライベートな会社とフェイスブックのフェイクニュース対策の国際オフィスになっています。
ミサイル、砲弾、キュウリ、座薬など・・・地元の人々は、この新しい建物に様々なニックネームをつけています。この建物が好きな人は、多いですが、嫌いな人もいます。しかし、目立つ建物なので、バルセロナを訪れる人は、「なんだろう。。。」と関心を持ちます。
たぶん、100年前にガウディの建築物を始めて見たバルセロナの人達も同じような会話をしていたに違いありません!
じゃあ、ミサイル、砲弾、キュウリ、座薬などと言われるこの形は、何でしょうか?
フランス出身のジャン・ヌーベル建築家( Jean Nouvel、1945生まれ)の説明を述べると、カタルーニャ地方の守護地、のこぎり山モンセラットの岩を元にした形ということです。また、地面から出た間欠泉(一定の時間を隔てて周期的に熱湯や水蒸気を噴出する温泉)をも思わせます。
トッラ・グロリアスは、二つの円柱で作られています!外から見える円柱の中にもう少し小さな円柱があります。一番大きな円柱は、カラフルなガラス張りの「皮」に包まれています。
その「皮」は、下から上まで、赤いトーンからブルーのトーンまで変わって行きます。赤は、土の色で、ブルーは、地中海性の空を表現しています。そして、夜になると、その 59619枚のガラスが中からライトアップされます!夜、暗くなったら、バルセロナの新しいランドマークを探してみて下さい!とても美しいです。
きれいな「皮」のみではなく、エネルギーの節約の面にも役に立つガラス張りの「皮膚」と言えます。
建築家チームの優れたアイデアで、自然光も材料として使われています。
鋼鉄:250トン、コンクリート:2万5千立方メートル、4500窓、34階建て、事務所:50500平方メートル、8つのエレベーター。
地下には、316人を収容する音楽ホール、2階建ての駐車場、地上には、28階の事務所になっています。
内部見学が不可。
バルセロナ市庁舎 は、旧市街のサン・ジャウマ広場 (Plaça Sant Jaume)に建てられています。
この広場に2000年以上前から(つまりローマ時代から)バルセロナの行政の建物が並んでいます。
市庁舎のネオクラシックの正面は、19世紀中頃に改装されましたが、市庁舎そのものは、14世紀に建てられました。その時、カタルーニャ地方の100種の職能団体がこのところに集まって、彼らの国家を統治していました。
市庁舎の一番素晴らしい部屋は、1373年8月17日に始めて使われた百人室 Salo de Cent だと思います。
1階の正門に入ると右に曲って、中央階段を上がります。石の壁に掛けてある2枚の古いタペストリーを称賛してから、2階の中庭から百人室 Salo de Cent に入ります。最初に感動するのは、百人室のサイズとカタルーニャ州を象徴する黄色と赤い色の壁掛けです。
議会場のやや中央に位置する左右の壁にジャウマ1世と聖ジョルディの石の像が向かい合います。幅広い半円ボールトは、美しい木造の天井を支えています。床に職能団体のシンボルがモザイクによって残されています。
見学出来る部屋は、その他2つあります:
1/ 1860年に建てられた丸天井の半円形会議場で、今も総会が行われます。この部屋は、2つの青銅のシャンデリアとマリア・クリスティナ女王の絵画が飾られています。
2/ もう一つの部屋は、窓がありません。その上、暗い絵画で囲まれていますので、明るい百人室と全然違う雰囲気です。多くの絵画は、14世紀に行われた東洋の遠征を描写しています。
市庁舎の2階の見学が終わったら、黒い大理石で作られている階段で1階に戻ります。
現在、バルセロナ市役所として使われていますので、平日には見学は出来ません。
日曜日は、朝 10時から午後14時まで無料で入れます。
世界で注目されるオペラ座が、いくつかあります。その中に、バルセロナの「リセウ劇場」が含まれています。
19世紀に繊維と織物のお陰でバルセロナは、栄えた街になり、そのお陰でプチ・ブルジョワが多くなりました。これらのプチ・ブルジョワの寄付金でリセウ劇場が建設され、1847年にオープンしました。
19世紀の終わりにオペラが始まっても、ホールの照明は、付けっぱなしでした。プチ・ブルジョワは、素敵な宝石を持って、一番前のバルコニーに座っていました。皆を見る事も、他人から見られることも大事でした!(現在、ショーが始まると、ホールは暗くなります...)
1861年に火事があり、リセウ劇場を再建するのに1年間ぐらいかかりました。そして、この劇場は、プチ・ブルジョワの寄付金で建てられたので、無政府主義者に嫌われていました。1893年に無政府主義者によって、テロ事件があり、14人は、爆弾で亡くなりました。
運悪く、1994年にまた火事があり、ランブラス通りに面している部屋以外、全部焼けました。今回の修復は、10年間位かかりました。火事をきっかけにして、リセウ劇場は、地面から修復されました。メインホールは、旧劇場をそっくりそのまま修復しました。そして、舞台裏は、新しい技術を利用し、現代の安全規準に一致しました。
以前、舞台裏は、建物の面積の30パーセントでしたが、現在、劇場の70パーセントになりました。新しく建設された場所は、ほとんど全部舞台裏、つまり技術的なところです。以前、舞台は、1万2千平方メートル、現在3万5千平方メートルになりました。
パリのオペラ・バスティーユがオープンする前まで、リセウ劇場は、ヨーロッパの一番大きなオペラ座でした。現在、バレエ、クラシック音楽、オペラとドラマが頻繁に上演されます。
この劇場のメイン・ホールは馬蹄形で、主な色は、深い紫と金色です。バルコニーは、5階まであり、音響は、とてもいいです。
この大ホールは、2292人を収容します。各座席の前に小さな画面があり、全てのオペラは、元々の言葉(ドイツ語又はイタリア語)でおこないますので、画面で翻訳(カタラン語、スペイン語、英語)を読むことが出来ます。
メイン・ホールの天井も素晴らしい!真中にあるものすごく大きな照明の周りに8つの丸い絵があり、オペラが始まると、この8つの絵の中の4つが回転して、舞台を照明するスポット・ライトが現れます。
休憩時間に皆は、2階の鏡の部屋に飲みに行きます。この部屋の天井も素晴らしくて、大きな絵画で飾られています。周りの壁には、大きい鏡が掛けられてあり、その上に文章「芸術には、国境がない、等...」が書いてあります。文書が書かれた時代、カタルーニャは、公の場所でカタラン語の使用は禁止されていました。全ての文章はスペイン語で書かれました。
この劇場で上演したアーティストは、カタルーニャ人の Montserrat Caballe (モンセラット・カバリェ、ソプラノ)、Josep Carreras (ジュゼップ・カレラス、テノール)、Victoria de los Angeles (ビクトリア・デ・ロスアンヘレス、ソプラノ)、そして、スペイン人の Placido Domingo (プラシド・ドミンゴ)などでした。
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同じ建物にあるリセウ・サークルも是非見に行って下さい。火は、ここまで来ませんでしたので、ずっと前から残されている部屋に入ることが出来ます。有名なカタルーニャ人のラモン・カザス画家の絵画もたくさん見れますし、モデルニスモ建築(アール・ヌーヴォー)の部屋は、素晴らしいです。モデルニスモ建築のエレベーターも必見です!素敵!
このサークルは、とても排他的なクラブで、女性の方は、非常に少ないです。このリセウ・サークルの会員になる為にすでにメンバーである4人に紹介されなければなりません。
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さぁ、オペラやバレエを見に行きましょう!
ご料金は10ユーロから300ユーロぐらいまでです。
注意:10ユーロの座席は、舞台が見えない座席ですよ!
リセウ劇場の見学(英語、スペイン語のツアー):
専門ガイド付きのツアーが、朝の10時から。45分位かかり、リセウの大ホール、鏡の部屋とメイン階段が見学出来ます。
夏にやっぱりビーチに行きたくなりますね!バルセロナのビーチは、中心地に近いです。
バルセロナ旧市街からポート・ベイ港( Port Vell )に向かいます。そして、カフェ・テラスやレストランがたくさん並んでいる Passeig Joan de Borbo 通りに沿って奥まで歩きます。
「ジョアン・ダ・ブルボ通り」の突き当たりを左に曲がって、最初のビーチ Platja de Sant Sebastia がすぐ見えます。カタラン語で platja はビーチのことです。旧市街からこのビーチまでは、歩いて15分位しかかかりません。
北の方に歩きつづけたら、次は Platja de la Barceloneta に着きます。
海岸通りには、ベンチがたくさん有り、砂浜には、数本のパーム・ツリーが生えています。
その後、新しい港に着きます。オリンピック・バーバーは、1992年のバルセロナ・オリンピックの時に建てられました。1万5千人の選手が泊まれる44階のタワーが2つ建てられ、新しいヨット・マリーナも建設されました。 ホテルと事務所に改装されたタワーの屋根からよく晴れた日にマヨルカ島が見えます。
マリーナの回りに魚介類とシーフードのレストランが数えられないほどたくさんあります。ここで、海から吹いてくる心地よいそよ風がヨットのマストに当たってロープをちりんちりんと鳴らすのを聞きながら、ロマンチックな夕食をしませんか?
歩きつづけると、順番に Platja del Bogatell、Platja de la Mar Bella、Platja de la Nova Mar Bella に行くことが出来ます(ご参考までに Platja de la Mar Bella はヌーディスト・ビーチですよ)。
地下鉄 4号線は、ビーチに平行して走っていますので、歩いて往復は、出来ない方は、地下鉄に乗って、旧市街にすぐ戻れます。駅(北から南へ)は Selva de Mar 駅、 Poblenou 駅、 Llacuna 駅、 Bogatell 駅、Ciutadella-Vila Olimpica 駅と Barceloneta 駅です。
一年中、泳ぐ人もいますが、大体5月から10月末まで、ビーチは、千個のパラソルでカラフルな景色になります。その時、本当に賑やかな海岸です。夏にはアイスクリーム、飲み物、ポテトチップなどを売っているキオスクとお手洗いがたくさん設備されています。ビーチを監視している救助員(ライフガード)もいます。
冬には、静かなところで、ジョギングをする人、犬と散歩する人、弱い太陽光線を楽しむ市民は、少なくないです。市民は、夏の明るい雰囲気も冬の穏やかな雰囲気も大好きです。
簡単に中心地から海まで行ける事も、バルセロナの1つのメリットです!
紀元前218年にローマ人が、イベリア半島(現在、スペインとポルトガルがある半島)にやってきて、いくつかの町(アンプリアス、ジェルンダ等)を設立しました。当時、タラゴナがイベリア半島の主な街になり、小さなバルセロナは「バルキノ」と呼ばれていました。
ローマ人は、常に町の一番高いところに一番重要な寺院を建てました。バルセロナ旧市街にある標高 16.9 メートルの Taber 丘は「バルキノ」の一番高いところでしたので、ローマ人に選ばれて、アウグストの寺院 がそこに建設されました。
今、21世紀になって、このタベール丘は、バルセロナ・カテドラルの後ろにあり、Paradis 通りがこの丘を横断しています。
細いパラディス通りを歩いたら、すぐにタベール丘の低い頂上に着きます。
パラディス通りの10番(角の門)に入りましょう。中庭の右手に 1870年からカタルーニャ登山協会の事務所があり、その後ろにアウグストの寺院の遺跡が堂々とそびえ立ちます。
アウグスト寺院は、ローマ人によって西暦1世紀に建設されたと言われ、バルセロナのもっとも古い建物です。
コリント式円柱4本とその上にあるアーキトレーブ(台輪)しか残っていませんが、奥の壁にある説明を見たら、ローマ時代のこの寺院の外観を想像出来ます。
高さ9メートルの円柱は、モンジュイックの丘で切られた石で作られているらしいです。ローマ時代に儀式は、決して寺院の中ではなく、常に寺院の前で開催されていました。前の広場は、台座に置かれていた石の像や著名な市民を記念する碑文などで飾られていました。
この寺院は、フォーラム(古代ローマの市民の広場、集会場)の近くに建設されて、この近所に町の一番重要な建物(政治、行政と宗教的な建物)がありました。
そして、ローマ時代の町に必ずあったデクマヌス・マクシムス(東西の通り)とカルド・マクシムス(南北の通り)の道路は、このフォーラムで交差し、町全体は、市壁に囲まれていました。
14世紀に、このアウグスト寺院の遺跡は、別の建物に含まれ、そのため、現代まで保護されたと言われています。
20世紀初頭にオーナーは、自分の家を改築しようと考え、ローマ時代の円柱を彼の故郷カネット・ダ・マー市に運ぼうと思いました。
が、ジョゼップ・プッチ・イ・カダファック建築家は、昔の寺院の建計図を丁寧に描き、この昔の寺院の評価を知ることが出来ました。結局、1903年から1905年まで、リュス・ドメネク・イ・ムンタネール建築家は、ローマ遺跡を修復しました。
Llibreteria 通りの建物を取り壊した時、現れた柱の部分で一本の柱が再建されました。そして、1850年から戸外で王の広場にあったこの一本の柱は、やっと1956年に元の場所に戻されました。
この寺院の遺跡を見ると、バルセロナは、本当に長い歴史を持っていることをはっきり意識します!
副司教館 ( Casa de l'Arcadia )は、石の建物で、12世紀にバルセロナの古い城壁の上に建てられました(城壁は、4世紀にローマ人によって建てられた)。現在、副司教館は、バルセロナ・カテドラルの前にあります。15世紀に Luis Desplia 副司教は、自分自身の地位に見合った屋敷に住みたかったので、副司教館を拡張し、同時にゴシック様式にしました。
副司教館は、19世紀に一般市民に購入されました。改装がおこなわれ、1895年にバルセロナ弁護士の学校になりました。
1902年にリュス・ドメネク・イ・ムンタネール建築家は、正門の右にある有名なポストをデザインしました。この大理石のポストは、旧市街の有名スポットです。郵便物を入れるところにツバメ5匹と亀一匹が彫刻されました。建築家のアイデアは、次のようでした:郵便物を待っている人は、ツバメの飛ぶ速さで郵便物が届いて欲しいですが、実際に読みたい手紙は、亀ののろのろスピードで届いてしまいます。。。
1919年にバルセロナ市は、この建物を取得し、Josep Goday 建築家によって修復がまた始まりました。そして、後ろにあるカテドラル通りを開通した時、城壁にもたせかける家々は、取り壊されました。
現在、副司教館は、バルセロナの市立古文書館として使われています。
長方形の小さな中庭の壁に1920年に置かれたタイルはきれいで、真中のルネサンス様式の噴水は、ポコポコと音を立てます。高いヤシの木が二本生えています。門の左にある階段で、2階の静かなバルコニーに行くことが出来ます。
20時まで、建物の中に入ることが出来ます。広い空間で城壁の内装も見えます。また1929年に開催された万国博覧会の小さな展示室もあります。
1955年と1962年に司教館の外観は、また改装されました。
Corpus Cristi 祭りの時は、この中庭がお花で飾られ、噴水から噴出す水の上に平衡のとれた卵が踊っています。
副司教館と Santa Llucia チャペルの間でソプラノや音楽家がよく演奏します。
バルセロナ、ゴシック地区の面白い通りを是非通って欲しいです。
ピ広場から Portaferrissa 通りまで横断する Petrixol 通りは、観光客にあまり知られていません。この通りの魅了は、建物の壁を飾っているタイルです。数えられないほど多くて、この通りの歴史、この通りに住んでいた有名人などを語っています。タイルに書いてある文書は、もちろんカタラン語ですよ!
昔、車や馬車が通らないように通りの真中に岩が置いてありました。Petrixol は、この岩の名前から来たらしいです。
この通りに住んでいた人は、Angel Guimera 劇作家、Pius Gener エッセイストと Sala i Campillo 科学者でした。ところで、近くの Sant Josep Oriol 広場に Angel Guimera 劇作家(1845-1924)の像が見えます。
1814年に住んでいたマドリッド出身の Moratin は、「この道路は、ひどく汚い道だ」 と手紙で書いたため、名前をタイルに記載されませんでした。。。
この細い通りには、面白いお店がたくさん並んでいます。11番にある La Pallaresa は、オススメの Granja (カフェ・バル)です。朝食をとるのに、最高!Melindros、Ensaimada、Xocolata Espanyola、Mato de Pedralbes などは、是非味わって欲しいです。
Sala Pares は、バルセロナの一番古いアート・ギャラリーで、ハイカー専門のカタルーニャ風の Quera 本屋さんも必見です!
そして、先ほど書いたピ広場のマーケットを忘れないで下さい。第1、第3金土日(11時〜21時30分、昼寝時間:休憩)に職人が作るチーズ、蜂蜜、カタルーニャのソーセージ、ケーキなどが売られています。小さなマーケットですが、見るだけで田舎の雰囲気をよく楽しめます。
サンタ・マリア・ダル・ピ教会(「ピ」はカタラン語で「松の木」の意味で)に入ったら、いかがですか?シンプルな教会ですが、ばら窓は、ヨーロッパの大きなばら窓の中の一つです。月に数回、パイプ・オルガンやスパニッシュ・ギターのコンサートが開催されます。
バルセロナの最も広い公園(30ヘクタール)は、シウタデヤ公園 ですが、行くツーリストは比較的に少ないです。ゴシック地区またはボルン地区からすぐ行けますので、バルセロナの滞在中、シウタデヤ公園に寄るのが、いかがですか?
大きな入口が二つあり:フランス駅の近くの門と煉瓦の凱旋門の方の門。西にある凱旋門から来ると、門の近くにきれいな街灯と柵が見えます。
スペイン王フェリペ5世の在位(1716〜1727年)の時、ここには、スペイン中央政府の軍隊の要塞がありました。最初は、治安と安全を守る軍隊のために建てられましたが、その後、この要塞は、刑務所になりました。
バルセロナの市民は、スペイン中央政府の圧迫を象徴していたこの要塞が嫌いでした。1878年にプリム将軍の命令でこの要塞がやっと取り壊されました。プリム将軍を忘れないように、フランス駅の近くの入口に馬に乗ったプリム将軍が堂々と公園の門を見守っています。
1888年にスペインの最初の万国博は、広い空地になっていたこの土地で開催されました。
フェリペ5世の時代から残されている建物は、1727年に建てられた武器倉です。改装されて、1932年にカタルーニャの州議会議事堂として使われ始めました。しかし、1939年(フランコ独裁者の時代)に一度閉会されて、再び1980年に開会しました。
よく考えたら、現在カタルーニャの州議会議事堂になっている建物は、昔カタルーニャを圧迫していた軍隊の建物でした。ちょっと気になりませんか?
(カタルーニャ州議会の見学:土・日・祭)
カタルーニャの州議会議事堂の前には、1917年にフランス出身のジャン・クロード・ニコラ・フォレスティエ造園家によってデザインされた庭があります。卵形の池の真中にジュゼップ・リィモナの「 悲しみ、Desconsol 」という有名な像(1903年)が配置されています。
1888年の万国博の時から残されている建物は、いくつかあります:
1/ 旧カフェ・レストランは、リュス・ドメネク・イ・ムンタネールによって建設された煉瓦の建物です。この建物のニックネームは「3頭のドラゴンのお城」で、建てるのにたった3ヶ月しかかかりませんでした!
この建物の前に「子供たちの噴水」が有り、1882年にジュゼップ・レイナスによってデザインされました。壷、花と子供の像で飾られています。
2/ 鉄で構成された温室の El Hibernacle(1884年)では、コンサートが開催されました。その近くに煉瓦の El Umbracle(1883〜87年)には、熱帯植物が植えられていました。
この公園には、1892年に落成式が行われたバルセロナの動物園もあります。バルセロナの象徴になったジョアン・ロッチ・イ・ソレの「傘を差す女性」という像(1885年)もこの動物園に設置されました。2003年11月に亡くなった「フロケット・ダ・ネウ」という白いゴリラは、この動物園にいました。
シウタデヤ公園には、湖もあり、1982年からボートを借りることが出来ます。湖の側に石で作られている実物サイズのマンモスも見えます。またそのすぐ隣にモニュメントに囲まれているものすごく大きな滝があり、下には、カモが遊んでいる池があります。
ジュゼップ・フォンセーレのアトリエで手伝っていた若いガウディは、滝の制作にたずさわっています。豪華な滝は、近年に修復されたので、前まで行ってみることをおススメします。
前の広場には、コンサートが出来る丸い舞台も設置され、祝日や週末には、様々なイベントが開催されます。
シウタデヤ公園は、ただの公園だけではなく、歴史的なところで、様々な像で飾られているし、有名な建物もたくさんあります。ベンチも多いので、都会をしばらくの間忘れて、ノンビリ出来るみどりが多いところです。
オススメは:午前、旧市街とボルン地区(ピカソ美術館、海の聖母マリア教会など)を観光して、その後は、シウタデヤ公園へという道順です。
「バロ・ダ・クアドラス邸」 は、1904〜1906年にジョゼップ・プッチ・イ・カダファックによって建てられました。4階建ての建物は、モデルニスモ建築で、小さな噴水と壁にあるタイルに囲まれている中庭は、夏でも涼しいです。
ディアゴナル通りに面している正面が、印象的です。バルセロナの建物の中では、ユニークなスタイルです。グラシア大通りからそんなに遠くないですから、例えば、カサ・ミラに行く時、少し足を伸ばすと簡単に行けます。
以前、「カサ・アジア」がこの建物にありました。しかし、2014年3月にアジアと関係ある展示会、映画祭、言葉のレッスン、文化などについての会議やアジアと商売したい会社のお手伝いは、世界遺産に登録されているサン・パウ病院に移されました。
バルセロナ新市街にある「ランブラ・ダ・カタルーニャ大通り」は、バルセロナ旧市街にある「ランブラス通り」と違いますよ!
「ランブラ・ダ・カタルーニャ」大通りは、新市街のグラシア大通りに平行している通りです。おすすめの散策コースは、カタルーニャ広場からグラシア通りを歩いて、カサ・バトリョ(世界遺産)、カサ・アマトリエー、カサ・ミラ(世界遺産)を見学します。そして、「パラウ・ロバート館」まで歩きます(カサ・ミラから石を投げて届く距離です)。
ここから、ワン・ブロック南に進んで、「ランブラ・ダ・カタルーニャ大通り」に着きます。ゆっくりとウインドー・ショッピングをしたり、テラスでお茶を飲んだりして、街の中心地(カタルーニャ広場)の方に戻って行きます。
⇒ ディアゴナル大通りからカタルーニャ広場まで(山の方から海の方まで)説明します(下記の偶数の数字は、左側にあって、奇数の数字は、右側にあります)。
「ランブラ・ダ・カタルーニャ大通り」の真中の広い歩道には、プラタナスの下にカフェ・テラスがたくさんあります。
最初に126番にある区役所を見ます。4階建てのモデルニスモ建築の建物で、3階のバルコニーは、特に面白いです。そして、青い空にくっきりと浮かび上がっている塔も素晴らしいです。正門の上にある石の彫刻も必見で、本当に見事な建物です。
125番の建物の壁には、絵が描いてありますし、バルコニーは、錬鉄の柵に囲まれています。
角の119番の「 Bopan 」というお店は、美味しいパン、チーズ、出来合いの料理などを売っています。お店の天井にある小さなステンド・ガラスの丸天井は、きれいです。お茶を飲みながら、見学するのは、どうでしょうか?
歩き続くと、右にある建物は、14〜15世紀の教会で、19世紀の終わりまでバルセロナ旧市街にありました。しかし、20世紀の始めに石一つずつ運んで、建物ごと移動しました。
マヨルカ通りを渡ると、84番のモデルニスム建築の Hotel Windor は、きれいな正面で、新市街によく見かける錬鉄の柵に囲まれているバルコニーもあります。
78番には正門、ガラス張りのバルコニーを見てみましょう。建物の一番上は面白い形をしています。
アラゴン通りを渡る前に、右の角にある古いショー・ウィンドーは、少し珍しいですよ。缶詰、ガラス鉢や広口瓶がたくさん展示されていて、面白い食料品店です。アルゼンチンのお茶、アスパラガス、ツナ、オリーブなどが売っています。
角の建物の飛び出している丸いベランダからは、歩行者天国の眺めは、いいでしょう!
反対側の54番も見てみましょう。ステンド・ガラスで飾っている木造の広いベランダがあって、壁に絵が描いてあります。
47番の1階にある Muxart は、有名なブランドのお店(靴、ハンド・バックなど)です。
クンセユ・ダ・セント通り(Consell de Cent 通り)を渡ったら、生け垣に囲まれているテラスは、とても居心地いいです。La Catalana というレストラン・バーのテラスです。少し疲れていたら、お食事でも、お茶でも、どうぞ...
カタルーニャ通りを歩いている人の中に33番の建物の一番上の石の像と大型の壷に気が付く人は多いでしょうか?
27番、25番、23番は、20世紀の初頭に建てられた建物です。ここもバルコニー、高級なガラス張りのベランダ、屋根の下のフリーズも必見です。27番の1階には、Excellence という本屋さんがあります。
グラン・ビア大通り(Gran Via de les Corts Catalanes)に着くと、通りの真中にある大きな噴水は、ロータリーになっています。4つの像からお水が流れていて、赤い花がたくさん咲いています。角の Casa Pia Battlo (1891-1896)には、二つのすらりとした櫓も付いています。
長さ1キロ位の「ランブラ・ダ・カタルーニャ大通り」の両側にシックなお店があります。ショッピングにぴったりだと思います。
そして、通りの真中は、歩行者天国になっていますので、テラスがたくさんあって、アコーディオンを弾く人もよくいます。
高いプラタナスがたくさん植えていますので、夏でも涼しいところで、プラタナスとプラタナスの間に快適なベンチもたくさん用意されています。その上、オルド・スタイルの鉄製の街灯がたくさんあります。
素敵な雰囲気です:ミドリが多くて、お洒落なエリアで、今だに少しベル・エポック(20世紀初頭)の感じがします。最後に、強いて言えば、グラシア通りには、観光客が多くて、「ランブラ・ダ・カタルーニャ大通り」には、カタルーニャ人が多いです。
オルタ公園 (Horta)は、バルセロナの中心地から少し離れていますが、地下鉄で簡単に行くことが出来ます。どんなガイド・ブックにも載せていませんので、バルセロナ市民しか知りません。オルタ公園は、そんなに広くないですが、バルセロナの公園の中で一番きれいだと思います。
バルセロナの環状線の向こうにあるオルタ公園は、コルセロラ山の麓に広がっています。バルセロナのもっとも古い公園で、18世紀の新古典主義の代表的な公園です。1791年に Desvalls 侯爵の世襲領に建てられて、イタリア人の Bagutti 建築家によってデザインされました。しかし、維持困難のため、Desvalls の子孫は、1971年にバルセロナ市に土地を譲渡しました。
公園の9ヘクタール中8ヘクタールは、整備されています。残りの1ヘクタールは、地中海式気候の林です。
公園に入ると大きな家とクジャクがいる庭が見えます。その後ろ、広い階段を上がって、最初の広場に着きます。バルセロナで有名な糸杉で作っている迷路の入り口があります。皆は、楽しいムードで迷路の真中にある噴水まで正しい道を探しています。子供だけではなく、大人もたくさんいますよ!私は15分ぐらいうろうろしました... とても楽しいですので、是非入ってみて下さい!
迷路の上にある広場には、神話の像を保護している二つの柱8本の寺院、大きな壷、彫刻と噴水があります。一番上の広場に池と滝も作られています。その後、ロマンチックのプロムナードという散歩に行けます。
噴水、滝、花、高い木、本当に快適なところです。ベンチも多いので、訪問客はノンビリしながら、家族や友達と話しています。
公園の改装は、1993〜1995年の間に、EU ヨーロッパ連合の基金でおこなわれました。
観光客が行かない地区を訪れたら、現地の雰囲気をたっぷり楽しむことが出来ます。バルセロナの中心地の少し北にあるサン・アンドレウ( San Andreu )地区を紹介します。
バルセロナ中心地から地下鉄1号線に乗り、「 Sant Andreu 」駅で降ります。出入口が二つありますが、「 Pl. d'Orfila 」出口で駅を出ます。
地下鉄駅を出ると、「え?もう郊外にいるか?」と思う人もいるでしょう。しかし、1896年まで独立していた Sant Andreu 町は、田舎の雰囲気を保護したにもかからわず、今はバルセロナ市の一つの地区です。
1850年、Orfila 広場の前に教会を建てました。「 Sant Andreu de Palomar 」教会の横の石畳になっている通りを歩いて、後ろにあるプラタナスの木が植えている静かな広場は、南ヨーロッパの感じです。近郊電車が止まる駅があり、カフェ・テラスも2、3軒あります。
地下鉄駅がある広場に戻って、左に曲がって、100メートル位歩道を歩いたら、噴水がある広場、公園と池があり、真中にある建物は、この地区の図書館です。
地下鉄の出入口があるところまで戻ります。教会に面している建物は、以前、 サン・アンドレウの市役所でした。現在、区役所で、屋根にある旗は、そよ風にはためいています。その建物の左にある細い Ajuntament 通りを通って、Comerç 広場にすぐ着きます。
Canyelles というところから来ていたお水の水飲み場は、広場の真中にあります。家々に水道がなかった時代に市民が集まる水飲み場でした。市場がある日(毎月第1、第2土曜日)には、Comerç 広場は、現地の人々で溢れています。
この広場の建物に大きな時計があり、そして、向こうの壁にミロの天才を褒めたたえる小さな看板もあります。ミロの誕生日100年を祝った時、この地区に住んでいる市民は、この看板を取り付けました。
しばらくの間、休憩するのに、76年前から営業している Versalles というレストラン・バーはオススメです。1階にレストランがあるこの建物は、きれいな建築です。正面の上まで模様が伸びていて、全てのバルコニーの下は、カラフルなタイルで飾られています。
横にある細い石畳になっている Pons i Gallarza 通り(ベンチや木がたくさんあり)を歩いて、右にある二つ目の道( Cerda 通り)に入ります。
木5本が並んでいるこの石畳になっている道は、中世に作られ、パステルカラーの家が街の景観を明るく彩っています。この田舎風の景色は、バルセロナ市内の道だと信じがたいです。この道は、行き止りなので、もと来た道に戻ります。
Pons i Gallarza 通りをもう少し歩くと、Basconia 通り(右にある三つ目の道)に着きます。この通りの69番にある田舎風の家の壁に「昔、この通りは、聖イグナチオ・デ・ロヨラを奉納しました」というタイルの看板があります。
次の角で、右に曲がると、お年よりがペタンク(金属の球を交代で転がして標的に当てるゲーム)を遊ぶエリアがあります。
ここから歩いて、5分で行ける Grau 通りも面白いです。ペタンクのエリアを見た時、次の交差点まで進んで、左に曲がります。この Matagalls 通りをまっすぐ歩いて、Maria Brossa 広場を横断して、la Segarra 通りを歩きます。La Segarra 通りの突き当たりで、左に曲がって、Agusti i Mila 通りを歩いて、右の次にある Grau 通りに入ります。この道の右は庭で、左には、2階建ての田舎風の家があります。
56番と58番の家の前の庭は、面白いですよ。市民一人が作ったバルセロナやカタルーニャの大建造物のミニチュアを見ることが出来ます。
最初に門の上にドラゴンを殺している聖ジョルディ(カタルーニャ州の守護聖人)がいます。そして、サグラダ・ファミリア、カサ・ミラ、騎馬、ダリの絵、地中海岸の村、ピレネー山脈のロマネスク様式の教会、1992年のオリンピックの輪などのミニチュアがサボテンの植木蜂、セラミックの柱と貝で飾られている柱の間で見えます。この「 Catalunya en petit 」(小さなカタルーニャ)を作るのに時間がかかったでしょう!
Comerç 広場に戻ります。最後に Mercadal 広場が必見です。アーケードに囲まれている屋根がある市場( Mercat de Sant Andreu )はカラフルで、新鮮な果物、野菜、魚などが売られています。 注意:昼休みが長いです。。。
この観光コースには、有名な建物を見て回りませんが、2時間ぐらいで、普通の市民が住んでいる地区を見たい人にオススメします。たくさん現地のレストランがありますので、昼食をとるのは、良いアイデアだと思います。日帰り定食メニューは、安く(10 ユーロから)、他の観光客と会わないでしょう!
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