ゴシック地区はバルセロナ旧市街の一部で、街の最も古いエリアです。そんなに広くないので、歩いて楽しめる地区です。細い路地や隠れている広場の雰囲気が良くて、散策する時、中世の時代にタイムスリップします!ゴシック地区の観光マップ、人気観光スポット(アウグスト寺院、バルセロナ市庁舎、サンタ・エウラリア大聖堂、モニュメント・記念碑)、パエリアやタパスバルの情報、治安(お昼・夜)、お土産屋さん等を分かりやすくまとめました。観光だけではなく、ホテル数十軒、スーパー、タバコ屋さん、中央郵便局などもあるので、とても便利な地区です。
ゴシック地区は、カタルーニャ広場、ランブラス通り、ポートベイ港とライエタナ通りに囲まれています。
ゴシック地区にある観光名所や穴場は次のようです:
■ カタルーニャ広場(観光地図)
■ ショッピング・エリア
■ 4匹のネコ(ピカソ等が通ったカフェ)
■ 古代ローマの墓地
■ バルセロナ大聖堂
■ ピカソ壁画
■ 副司教館
■ ピ教会
■ 王の広場
■ パトリショル通り
■ カタルーニャ政府庁
■ ため息の橋
■ カノンジャス官邸
■ バルセロナ市庁舎
■ 旧ユダヤ人地区
■ レイアル広場
■ 蝋人形館
■ 中央郵便局
■ ポートベイ港
効率よく観光できるように、ゴシック地区のおすすめの見学コースは次のようです:
この観光モデルコースを見て回るのに、2時間ぐらいかかります。
休憩できるお店3軒をおすすめします:
■ 4 gats(4匹のネコ)
■ Caelum(カエルム・ケーキ屋)
■ Orio(ピンチョスバル)
■ Cerveseria Canàries(レイアル広場)
バルセロナ、ゴシック地区の面白い通りを是非通って欲しいです。
ピ広場から Portaferrissa 通りまで横断する Petrixol 通りは、観光客にあまり知られていません。この通りの魅了は、建物の壁を飾っているタイルです。数えられないほど多くて、この通りの歴史、この通りに住んでいた有名人などを語っています。タイルに書いてある文書は、もちろんカタラン語ですよ!
昔、車や馬車が通らないように通りの真中に岩が置いてありました。Petrixol は、この岩の名前から来たらしいです。
この通りに住んでいた人は、Angel Guimera 劇作家、Pius Gener エッセイストと Sala i Campillo 科学者でした。ところで、近くの Sant Josep Oriol 広場に Angel Guimera 劇作家(1845-1924)の像が見えます。
1814年に住んでいたマドリッド出身の Moratin は、「この道路は、ひどく汚い道だ」 と手紙で書いたため、名前をタイルに記載されませんでした。。。
この細い通りには、面白いお店がたくさん並んでいます。11番 にある La Pallaresa は、オススメの Granja (カフェ・バル)です。朝食をとるのに、最高!Melindros、Ensaimada、Xocolata Espanyola、Mato de Pedralbes などは、是非味わって欲しいです。
Sala Pares は、バルセロナの一番古いアート・ギャラリーで、ハイカー専門のカタルーニャ風の Quera 本屋さんも必見です!
そして、先ほど書いたピ広場のマーケットを忘れないで下さい。第1、第3金土日(11時〜21時30分、昼寝時間:休憩)に職人が作るチーズ、蜂蜜、カタルーニャのソーセージ、ケーキなどが売られています。小さなマーケットですが、見るだけで田舎の雰囲気をよく楽しめます。
サンタ・マリア・ダル・ピ教会(「ピ」はカタラン語で「松の木」の意味で)に入ったら、いかがですか?シンプルな教会ですが、ばら窓は、ヨーロッパの大きなばら窓の中の一つです。月に数回、パイプ・オルガンやスパニッシュ・ギターのコンサートが開催されます。
副司教館 ( Casa de l'Arcadia )は、石の建物で、12世紀にバルセロナの古い城壁の上に建てられました(城壁は、4世紀にローマ人によって建てられた)。現在、副司教館は、バルセロナ・カテドラルの前にあります。15世紀に Luis Desplia 副司教は、自分自身の地位に見合った屋敷に住みたかったので、副司教館を拡張し、同時にゴシック様式にしました。
副司教館は、19世紀に一般市民に購入されました。改装がおこなわれ、1895年にバルセロナ弁護士の学校になりました。
1902年にリュス・ドメネク・イ・ムンタネール建築家は、正門の右にある有名なポストをデザインしました。この大理石のポストは、旧市街の有名スポットです。郵便物を入れるところにツバメ5匹と亀一匹が彫刻されました。建築家のアイデアは、次のようでした:郵便物を待っている人は、ツバメの飛ぶ速さで郵便物が届いて欲しいですが、実際に読みたい手紙は、亀ののろのろスピードで届いてしまいます。。。
1919年にバルセロナ市は、この建物を取得し、Josep Goday 建築家によって修復がまた始まりました。そして、後ろにあるカテドラル通りを開通した時、城壁にもたせかける家々は、取り壊されました。
現在、副司教館は、バルセロナの市立古文書館として使われています。
長方形の小さな中庭の壁に1920年に置かれたタイルはきれいで、真中のルネサンス様式の噴水は、ポコポコと音を立てます。高いヤシの木が二本生えています。門の左にある階段で、2階の静かなバルコニーに行くことが出来ます。
20時まで、建物の中に入ることが出来ます。広い空間で城壁の内装も見えます。また1929年に開催された万国博覧会の小さな展示室もあります。
1955年と1962年に司教館の外観は、また改装されました。
Corpus Cristi 祭りの時は、この中庭がお花で飾られ、噴水から噴出す水の上に平衡のとれた卵が踊っています。
副司教館と Santa Llucia チャペルの間でソプラノや音楽家がよく演奏します。
バルセロナ市庁舎 は、旧市街のサン・ジャウマ広場 (Plaça Sant Jaume)に建てられています。
この広場に2000年以上前から(つまりローマ時代から)バルセロナの行政の建物が並んでいます。
市庁舎のネオクラシックの正面は、19世紀中頃に改装されましたが、市庁舎そのものは、14世紀に建てられました。その時、カタルーニャ地方の100種の職能団体がこのところに集まって、彼らの国家を統治していました。
市庁舎の一番素晴らしい部屋は、1373年8月17日に始めて使われた百人室 Salo de Cent だと思います。
1階の正門に入ると右に曲って、中央階段を上がります。石の壁に掛けてある2枚の古いタペストリーを称賛してから、2階の中庭から百人室 Salo de Cent に入ります。最初に感動するのは、百人室のサイズとカタルーニャ州を象徴する黄色と赤い色の壁掛けです。
議会場のやや中央に位置する左右の壁にジャウマ1世と聖ジョルディの石の像が向かい合います。幅広い半円ボールトは、美しい木造の天井を支えています。床に職能団体のシンボルがモザイクによって残されています。
見学出来る部屋は、その他2つあります:
1/ 1860年に建てられた丸天井の半円形会議場で、今も総会が行われます。この部屋は、2つの青銅のシャンデリアとマリア・クリスティナ女王の絵画が飾られています。
2/ もう一つの部屋は、窓がありません。その上、暗い絵画で囲まれていますので、明るい百人室と全然違う雰囲気です。多くの絵画は、14世紀に行われた東洋の遠征を描写しています。
市庁舎の2階の見学が終わったら、黒い大理石で作られている階段で1階に戻ります。
現在、バルセロナ市役所として使われていますので、平日には見学は出来ません。
日曜日は、朝 10時から午後14時まで無料で入れます。
紀元前218年にローマ人が、イベリア半島(現在、スペインとポルトガルがある半島)にやってきて、いくつかの町(アンプリアス、ジェルンダ等)を設立しました。当時、タラゴナがイベリア半島の主な街になり、小さなバルセロナは「バルキノ」と呼ばれていました。
ローマ人は、常に町の一番高いところに一番重要な寺院を建てました。バルセロナ旧市街にある標高 16.9 メートルの Taber 丘は「バルキノ」の一番高いところでしたので、ローマ人に選ばれて、アウグストの寺院 がそこに建設されました。
今、21世紀になって、このタベール丘は、バルセロナ・カテドラルの後ろにあり、Paradis 通りがこの丘を横断しています。
細いパラディス通りを歩いたら、すぐにタベール丘の低い頂上に着きます。
パラディス通りの10番(角の門)に入りましょう。中庭の右手に 1870年からカタルーニャ登山協会の事務所があり、その後ろにアウグストの寺院の遺跡が堂々とそびえ立ちます。
アウグスト寺院は、ローマ人によって西暦1世紀に建設されたと言われ、バルセロナのもっとも古い建物です。
コリント式円柱4本とその上にあるアーキトレーブ(台輪)しか残っていませんが、奥の壁にある説明を見たら、ローマ時代のこの寺院の外観を想像出来ます。
高さ9メートルの円柱は、モンジュイックの丘で切られた石で作られているらしいです。ローマ時代に儀式は、決して寺院の中ではなく、常に寺院の前で開催されていました。前の広場は、台座に置かれていた石の像や著名な市民を記念する碑文などで飾られていました。
この寺院は、フォーラム(古代ローマの市民の広場、集会場)の近くに建設されて、この近所に町の一番重要な建物(政治、行政と宗教的な建物)がありました。
そして、ローマ時代の町に必ずあったデクマヌス・マクシムス(東西の通り)とカルド・マクシムス(南北の通り)の道路は、このフォーラムで交差し、町全体は、市壁に囲まれていました。
14世紀に、このアウグスト寺院の遺跡は、別の建物に含まれ、そのため、現代まで保護されたと言われています。
20世紀初頭にオーナーは、自分の家を改築しようと考え、ローマ時代の円柱を彼の故郷カネット・ダ・マー市に運ぼうと思いました。
が、ジョゼップ・プッチ・イ・カダファック建築家は、昔の寺院の建計図を丁寧に描き、この昔の寺院の評価を知ることが出来ました。結局、1903年から1905年まで、リュス・ドメネク・イ・ムンタネール建築家は、ローマ遺跡を修復しました。
Llibreteria 通りの建物を取り壊した時、現れた柱の部分で一本の柱が再建されました。そして、1850年から戸外で王の広場にあったこの一本の柱は、やっと1956年に元の場所に戻されました。
この寺院の遺跡を見ると、バルセロナは、本当に長い歴史を持っていることをはっきり意識します!
開館時間:10時00〜19時30 (月曜日:定休日。日曜日:14時00迄)
1920年代にカタルーニャ政府庁とカタルーニャ州知事のカノンジャス官邸の間で造られたため息の橋は、ゴシック・リヴァイヴァル様式になっています。
くぐると、下部でよく知られている彫刻(骸骨と短剣)が見えますよ。本物の骸骨だと言う市民もいますが・・・
ゴシック地区の中央に位置するバルセロナのサンタ・エウラリア大聖堂は13世紀の終わりごろから15世紀まで造られました。カタルーニャのゴシック様式の建物で、見学できます(詳細:カテドラル)。
1962年にパブロ・ピカソはアラゴン国王、ミュズィション、踊っている国民を描いて、ノルウェー出身の彫刻家はカタルーニャ建築家協会の壁に複写しました。
見つけにくい場所かもしれませんが、素敵な広場です。アカシアの木3本が植えられているので、ミドリがある広場で、映画ロケ地や小説に出てくる広場です。
建築家ガウディはバロック様式のサンフェリップネリ教会によく通いました。
スペイン市民戦争、1938年1月30日にバルセロナ旧市街はムッソリーニが指揮するイタリア・ファシスト党の空軍に空爆されました。逃げようとしていた貧しい市民42人が亡くなりました(子供が多かった)。この悲しいストリーを忘れないように壁に記念碑が置かれました。教会の壁に弾丸の跡が残っています。
Q | ゴシック地区では、美味しいパエリャが食べられますか? |
A | いいえ、観光客向けのレストランが多くて、おすすめのレストランはありません。おすすめのパエリャは、こちらです。 |
Q | ゴシック地区には、おすすめのバルはありますか? |
A | コーヒーを飲む場合、カフェやテラスが楽しいです。タパスやピンチョスを食べる場合、おすすめのお店はありません。おすすめのバルは、こちらです。 |
Q | ゴシック地区では、美味しいチュロスが食べられますか? |
A | お店3軒をおすすめします:Granja M Viader 、La Pallaresa Xocolateria Xurreria 、Granja Dulcinea 。 |
Q | ゴシック地区の治安は、どうですか? |
A | 特に問題ありません。治安のページにアクセスしてみて下さい。 |
Q | ゴシック地区のおすすめのホテルはありますか? |
A | ■ Hotel Colon |
バルセロナ旧市街にあるゴシック地区は、石畳の細い通りが多いので、迷う(!)地区ですが、古い町並みがとてもきれいです。おすすめの観光エリアです。
ご利用は、読者御自身の判断でお願いいたします。
「カタルーニャ観光」は、一切の責任を負いません。